ウルドゥー語研究の家(دار التحقیق اردو)

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優れたウルドゥー語研究者たち

本記事では主にパキスタン・インド分離独立以降に活躍したウルドゥー語学者を紹介した記事の訳である。興味深いのはインド側の研究者が多く取り上げられている点で、パキスタン側の研究者もインド側の研究者との学術的な交流または参照が頻繁に行われていたことが伺える。分離独立以降のウルドゥー語研究の発展はパキスタン(またはインド)一国だけでは為しえなかったと言えるかもしれない。

本記事に言及されていない有名な学者も多数いるので、今後ラウフ・パーレーク博士の記事の翻訳を通じて紹介できればと考えている。

 

Parekh, Rauf. 2020 (November 3).  Literary Notes: Some of Urdu’s Great Research Scholars, Dawn.(2021年9月11日閲覧)

 

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優れたウルドゥー語研究者たち

2020年11月3日

ラウフ・パーレーク

 

我々は研究の価値を理解していない社会にいる。科学技術研究は我々の国である程度実を結ぶかもしれない。しかし文学研究や言語研究の大部分は感謝されない仕事である。それでもウルドゥー語の研究は長い道のりを歩んできた。知の巨人たちや後進の研究者たちの先駆的な努力がなければ、今日におけるウルドゥー語研究[の隆盛]はあり得なかっただろう。ウルドゥー語の偉大な研究者の中には以下のような人物たちが挙げられる。

 

マウルヴィー・アブドゥル・ハク(Maulvī Abdul Ḥaq, 1870-1961) 

ウルドゥー語研究の先駆者の一人であるマウルヴィー・アブドゥル・ハクは、多方面[政治やウルドゥー語促進協会の運営等]での戦いを強いられていた。しかし、研究の観点から見ると、マウルヴィー・サーハブ(彼はしばしば尊敬の念を込めてこう呼ばれている)は、ダッカニー[・ウルドゥー]文学に関する研究や(ここでは名前を挙げられないほどたくさんある)ウルドゥー文学の古典テクスト編集で記憶されるだろう。彼がいなければ、多くの写本が跡形もなく消えていただろうし、我々の文学・言語史の多くの部分も消えていただろう。

 

ハーフィズ・マフムード・シーラーニー(Ḥāfiz Maḥmūd Shīrānī, 1880 - 1946) 

ハーフィズ・マフムード・シーラーニーはウルドゥー語テキスト批評の先駆者として知られる。彼は希少な文献や資料を驚くほど正確に把握していたため、彼の結論に異議を唱える者はほとんどいなかった。彼の驚異的で神話破りを行った研究として、『4人の托鉢スーフィーの物語(Qiṣṣa-yi Chahār Darvīsh)』(ペルシア語)*1がアミール・フスラウ(Amīr Khusrau, 1253-1325)の著ではない事実をテキスト批評から証明し、また『創造主(Khāliq-i bārī)』をアミール・フスラウの著作として見なすことにも疑問の影を投げかけたことが挙げられる。またムハンマドフサイン・アーザード(Muḥammad Ḥusain Āzād, 1830-1910)の伝説的な[本格的なウルドゥー詩史の研究書]『生命の水(Āb-e Ḥayāt)』*2を確かな証拠に基づいて粉々にし、彼の「歴史的事実」の多くが作り話に過ぎないことを証明した。彼にはウルドゥー語研究よりペルシア文学研究業績が豊富にある。彼が提唱したウルドゥー語パンジャーブ起源説は今日間違っていることが証明されているが、シーラーニーは数少ない偉大な研究者であり、最も評価されている研究者の一人である。

 

マスウード・ハサン・リズヴィー・アディーブ(Masʿūd Ḥasan Riz̤vī Adīb, 1893-1975) 

マスード・ハサン・リズヴィ・アディーブは、パキスタン・インド分離独立以前に古典ウルドゥー文学のテキストを発見、編集した研究者で、独立後もその研究活動を継続し、さらに優れた研究成果を発表した。ミール・タキー・ミールの『ミールの恩恵(Faiz-i Mīr)ファーイズガザル詩集、ガーリブによる珍しい詩や散文などの貴重な作品を発見し、編集した。

 

ムヒーウッディーン・カーディリー・ゾール (Muḥiuddīn Qādrī Zor, 1905-1962)

ムヒーウッディーン・カーディリー・ゾールは、デカン地方のウルドゥー文学と言語に関する多大な研究を行ったことから、しばしば「ダカニーの父(Baba-e Dakanī)」と呼ばれている。彼はデカン地方の文学に関する研究で有名で、ウルドゥー語の音声学や歴史的言語学に関する研究も称賛に値する。ウルドゥー語傑作小品集(Urdū shah pāre) 、クリー・クトゥブ・シャーの詩集デカン地方のウルドゥー語文学史に関する著作がある。

 

カーズィー・アブドゥルワドゥード(Qāzī Abdulwadūd, 1896-1984

彼は、ウルドゥー語研究者の中でも最も恐れられている人物の一人で、博識で徹底しているだけでなく、率直で忌憚のない意見を持っていました。同時代の研究者はもちろんのこと、ガーリブやマウルヴィー・アブドゥル・ハクのような[ウルドゥー語学の]知の巨人たちの作品の不正確さを指摘することも躊躇しなかった。彼の著書や論文の数は非常に多く、彼が百科事典に匹敵する知識量を有していたことを物語っている。

 

イムティヤーズ・アリー・ハーン・アルシー(Imtiyāz Alī Khān Arshī, 1905-1981) 

編集、編纂の水準を飛躍的に高めた研究者としてラームプール(インド)出身のイムティヤーズ・アリー・ハーン・アルシーがいる。彼が編集、注釈を加えたガーリブのウルドゥーガザル詩集は、最も綿密で最も信頼できるものである。彼は韻律と修辞学に関する書物『雄弁さの規則(Dastūr al-Fasāḥat)』を発見し、学術的な序文をつけて編集した。本書の編集出版自体[重要な]研究である。

 

ギヤーン・チャンド・ジャイン(Gian Chand Jain, 1923-2007)

ギヤーン・チャンド・ジャインは『一つの言葉、二つの文字、二つの文学(Ek Bhāshā, do likhavat do adab)』で物議を醸したことがあるが、彼のウルドゥー語研究への多大な貢献は否定できない。

彼の著作はガーリブ言語学、そしてウルドゥー文学史に関連したものが多く、それらは偉大な他のウルドゥー語研究者と並んで彼の地位を保証するものである

 

ラシード・ハサン・ハーン(Rashīd Ḥasan Khan, 1930-2006)

彼はウルドゥー文学古典のテキストを編集し、注釈を付けた最も優れた学者の一人である。彼のテキストは貴重な写本や最古の出版物に基づいており、完璧な正確さを誇っている。文学研究は彼の得意とするところであるが、彼が得意とするもう一つの分野は正書法である。彼の著書『ウルドゥー語正書法(Urdū imlā)』は、この分野で最も参照されている書物であるが、この問題について彼と異を唱える学者もいる。

 

ジャミール・ジャーリビー(Jamīl Jālibī, 1929-2019) 

ジャミール・ジャーリビーは偉大な文学史家で、彼の4巻本の『ウルドゥー文学史(Tārīkh-i adab-i Urdū)』はウルドゥー文学史の記念碑的な著作として知られる。彼は約40年の歳月をかけて、4,700ページに及ぶ全4巻の歴史を書き上げた。本書はあらゆるウルドゥー文学史の中で最も包括的で最も信頼できるものである。

これに加えてウルドゥー語の最古の文学作品として知られる600年前の写本『カダムラーオ・パダムラーオ(Kadam Rāo Padam Rāo)*3の校訂、出版を行っており、これらの重要な業績は後世の記憶に残るだろう。

 

紙面の都合上残念ではあるが、グラーム・ムスタファ・ハーン(Ghulam Mustafa Khan, 1912-2005) 、アブドッサッタール・スィッディーキー(Abdus Sattar Siddiqi, 1885-1972)、サイイド・ムハンマド・アブドゥッラー博士(Dr Syed Abdullah, 1906-1986)、 ワヒード・クレイシー(Waheed Qureshi, 1925-2009)、ナズィール・アフメド(Nazir Ahmed, 1915-2008)、マーリク・ラーム(Malik Ram, 1906-1993)、ムシフィク・フワージャ(Mushfiq Khwaja, 1935-2005)など、他の偉大な研究者の名前をここで挙げることができなかった。

*1:ウルドゥー語における最初期の出版物であるミール・アンマンの『春と園(Bāgh o Bahār)』(1802)は、『4人の托鉢スーフィーの物語』の翻訳である。

*2:アーザードの『生命の水』に関しては大阪大学言語文化研究科の松村耕光名誉教授が数多くの論考を発表している。

*3:『カダムラーオ・パダムラーオ』に関しては以下の論考の記述が参考になる。北田信「ウルドゥー文学前史:南インドのウルドゥー語文献」『イスラーム世界研究』第7巻(2014). pp.154-156.