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『ペルシアの讃美歌』「ゲーテにこの本を読んで頂きたかった!」

今回もイクバール生誕日に公開された記事で、イクバール研究の碩学の一人、ムハンマド・ハムザ・ファールーキーの著作を紹介している。

 

Parekh, Rauf. 2020 (November 9).  Literary notes: Zaboor-i-A’jam: ‘I wish Goethe had read this book!’, Dawn.(2022年1月4日閲覧)

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『ペルシアの讃美歌』「ゲーテにこの本を読んで頂きたかった!」

2020年11月9日

ラウフ・パーレーク

イクバールはパキスタンで(第一位ではないにせよ)最も愛されている詩人の一人である。そのため、イクバールに関する記事や書籍は絶え間なく出版されている。その結果、イクバールの著作と生涯に関するほとんどすべての側面は研究され尽くしており、新しい点が明るみに出ることはほとんどない。

 しかし、一部の眼識のある学者は時に知識の宝庫を発見し、その宝庫からイクバールとその生涯に関する希少で隠れた宝石のような情報を掘り起こすことができる。ムハンマド・ハムザ・ファールーキーもまさにそのような学者の一人である。ハムザ・ファールーキーは、イクバールの旅行の再現を試みた『イクバール旅行記(Safarnamah-yi Iqbal)』執筆のために貴重な歴史的資料を調べていた折、著名な学者で歴史家、ジャーナリストとして知られるグラーム・ラスール・メフル(Ghulam Rasool Mehr, 1895-1971)に連絡を取った。メフル氏は彼を指導しながら、ラーホールから発行されているウルドゥー語新聞『革命(Inqilab)』誌のある号を担当するように助言した。メフルは、アブドゥルマジード・サーリク(Abdul Majeed Salik, 1894-1959)と共に『革命』誌の編集者であり、二人ともイクバールと非常に親しかった。『革命』誌の編集者はイクバールを高く評価しており、イクバールの作品に関する記事だけでなく、イクバールの演説、発言、旅行や文学活動の詳細も掲載していたとファールーキー氏は言う。そのため『革命』誌にはイクバールの人生や、1920年代後半から1930年代にかけて亜大陸で彼が果たした政治的役割に関する多くの手がかりが残されている。

 ハムザ・ファールーキーは『イクバール旅行記』を取り組み始め、『革命』誌のファイルに埋もれていたイクバールの生涯に関する貴重な情報を本当に発見した。これらのファイルの一部は、カラーチーにあるパキスタン国立銀行の図書館に保管されていた。この号には、イクバールの多くの詩が掲載されており、その中には過去に出版された作品に含まれていないものもあった。新聞は、イクバールが書いた手紙や、彼の政治思想に関する多くの報道や見解も掲載していた。ハムザ・ファールーキーは、1988年に出版した自著『イクバールの生涯におけるいくらかの隠れた側面(Hayati-i Iqbal ke Chand Makhfi Goshe)』にこれらの珍しい作品を全て収録した。

 しかしファールーキーは、自分の知識を更新し、本を改訂し続けるため、いくつかの追加や修正を行い、現在(2020年)カラーチーのAcademy Bazyaftからこの本の改訂版が出版されている。第2版では『革命』誌に掲載されたエッセイを新たに3本追加し、ファールーキーが新たに注釈を加えたのは言うまでもない。

 これらのエッセイを紹介しながら、イクバールの詩集『ペルシアの讃美歌(Zabūr-e ʿAjam)』が1927年6月に出版され、『革命』誌が1927年7月に『ペルシアの讃美歌』特集号が出版されており、そこに6編のこれまで再録されることのなかった論文が載っていたとファールーキーは述べている。この6編のうち、3編が新装版で再現されている。

 そのうちの1編は、『ペルシアの讃美歌』を紹介し、そのメッセージを説明し、この本の一風変わった名前の背景を語っている。そして、『ペルシアの讃美歌』についてイクバールが述べた言葉が引用されている。「ゲーテにこの本を読んで頂きたかった!」イクバールはゲーテに憧れ、ガーリブとゲーテの間に類似性を見出していた。(イクバールのウルドゥー語詩集)『鈴の音』に収録された「ミルザー・ガーリブ」と題するイクバールの詩は、ガーリブへの豊かな賛辞とゲーテについて語るガーリブの演説を伝えている。

 

ワイマールの花園に汝の友が眠っている

 

 あなたの仲間の歌い手はワイマールの庭園で眠っている(ワイマールはゲーテが埋葬された場所である)。イクバールがゲーテの作品に魅了されていたことを見れば、イクバールが『ペルシアの讃美歌』を通じて伝えたかったメッセージは何か凡そ想像がつくだろう。ゲーテは東洋の詩に多大な影響を受けており、イクバールは『ペルシアの讃美歌』を通じて東洋の目覚めのメッセージを伝えようとしていた。

 『革命』誌は1927年4月21日にアブドゥルマジード・サーリクとグラーム・ラスール・メフルによってラーホールで創刊され、1949年10月17日に廃刊になったとハムザ・ファールーキーは記している。ハムザ氏の本では、1927年4月から1938年4月までの期間を収録している。しかし彼が改訂版のための資料収集のために国立銀行図書館を訪問した時、「図書館に収蔵されている『革命』誌のファイルの90%はひどく損傷しているか、消失している」ことに気づき、「虫に食われたか、職員の怠慢の犠牲になったのか」わからないと報告しており、胸が痛む思いである。なんという損失であろうか。

 本書は、イクバールの文学団体との関わり、旅、友人、同時代人、文学活動・社会活動など、彼の人生と作品に関する詳細について述べている。重要な章として、マウラーナー・フサイン・アフマド・マダーニー(Hussain Ahmad Madani, 1879-1957)がラホールに到着して演説し、その結果「国家は宗教ではなく国によって作られる」と発言して不穏な事態になったことを伝える『革命』誌に掲載された記事を再録している(281-285頁)。イクバールの反応は今や歴史の一部となっている。

 本書は『革命』誌に掲載された記事を時系列に再現したものである。イクバールにまつわるスピーチや出来事を忠実に再録している。注釈もこの本の価値を高めている。

 ムハンマド・ハムザ・ファールーキーはカラーチー在住のベテランの研究者で、イクバールやグラーム・ラスール・メフル、パキスタンインド亜大陸の政治史が専門とし、数多くの研究論文、ペンスケッチ、研究作品を執筆している。彼の旅行記回顧録も文壇で好評を博している。